若気の至り
たまに参考にしているAlphaClipperから注目記事を。
「米国SNSマイスペース上の若者の逸脱行動は永遠に咎められるべきか?」
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=1393
SNSマイスペースってのは、ようは日本でのmixiのようなもんでしょう。
使ったことないから詳細は知りませんが。
要約すると
マイスペース上で若者によるマリファナパーティを呼びかける書き込みがあり、即座に取り締まられた。
だが若気の至り=逸脱行動を許容しない社会では、人が育たない不毛な社会となってしまうのではないか。
ネットでの自己開示も認められる寛容な社会で、人間形成の場を作り、歴史に残るような若者を育てたい。
いやはや理系には要約はつらい。
そこで本題だが
今現在若者と言われる我々は今をどう考えるか?
「楽しけりゃいい」
これも否定すべきものではなくて、すべては楽しさからイイものは生まれると考える。
実際優秀な弁護士さんも「若いうちは遊んどけ」みたいなことをおっしゃってたようだし、遊びほうけるのも自己形成の一つとして認められるはずだ。
「全てを最短・効率で乗り切る」
レポート写したり、友達に出席とってもらったり、すごい楽です。
けど、将来振り返ったときどうなのか。
上記の記事内では「今では考えられないこと」と述べられている。
たしかに確実に脳を使ってないやり方です。
けれども、他のことを一生懸命やってるんだからいいんじゃね?学校の勉強なんて使わなくね?
と思い始めたら、終わりだと思いますよ俺は。
うすうす感ずいていると思うが、小学校のとき完全に役に立たないと思ってた算数・国語あたりを不必要だと考える俺の友人はいないでしょう。
勉強してる最中は必要性が見出せないものかと。理論だけだからね。
でも難しいんだよね、独力ですべてをこなすの。
「大学生活とは」
大学のメリットは
・遊べる
・ブランド
・安定性を選択肢のうちに入れられる
・本気の研究と言うものに触れられる
どれを良しとするかは本人の自由だけど、入ったからにはなんでも武器にしたい。
平々凡々と学生生活を過ごすよりも大学にいることのメリットを模索し利用してみることもおもしろい。
なんだかんだで慶應ブランドは使えるようだ。
青学の文化祭パンフのアンケートに
彼氏にしたい大学-一位:青学、二位:慶應、三位:その他
とあったときは思わず微笑んでしまった。
大学ブランドなんて使えねえよ、とおっしゃる前に一度大学を見渡してみては?
書くことがよくわからんくなってきた。
やはり小学校のズッコケ三人組以来、受験の国語の問題以外小説といった活字を読んでいない自分の国語能力の低さが疑われる。
結局、今何をすべきかなんて分からんもんだが、大人になったときの視点、これを考えてみるのもまた一興。